元島民の体験記 若松富子さんの体験記

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歯舞群島(志発島)の「自然」について
 気候は、根室とほとんど変わりません。歯舞群島は、平坦な島で、昆布を干す浜がある所は海が渚のようになっていますが、崖が半分くらいあります。起伏の無い平坦な島です。
 海は、とっかり(アザラシ)・トド等海獣がたくさんいました。陸は、平坦な島なので、たくさんの動物はいませんでした。猫は鼠を捕るので、多くの家で飼っていました。犬は愛玩用で飼っていました。志発島では、牧場をやっている人がいて、馬を飼っている家が何軒かありました。

 

 

歯舞群島(志発島)の「生活」について
 私の家は、昆布を捕っていましたが、人を雇って仕事をしていた人達は、サケ・マス、ホタテ、カニを捕っていました。私の家の近所にカニの缶詰工場があり、たくさんの女工さんを見ていました。
 島では、お米はできないのでお米、味噌や醤油も買いますが、芋・大根・人参・ゴボウ・ほうれん草など野菜は、自分達で作ります。秋は、夏に作った野菜を冬に食べる分、貯蔵します。魚やエビは、毎日のように捕れるので、夏の間に捕った魚は干しておいて冬に食べます。カニは、男の人達は身を氷水に浸け花が咲いたようにして、酒の肴によく食べていました。
 学校で一番楽しかったのは運動会。学芸会は、校長先生一人しかいなかったのでやらなかったみたいです。
 運動会は、水晶島等から、校長先生が高学年の生徒を連れてきて、一緒にやりました。生徒全員を紅白に分けリレーをするんです。親も楽しみで、ご馳走を作って見に来るんです。一杯飲みながら子供の応援をしている内に興奮して、自分の子供の横を走り出し、仕舞いに負けそうになると子供からバトンを奪って走ろうとするお父さんがいました。子供は、バトンがないと困るので泣きそうになって走りました。運動会には、根室から3件程お店が来て屋台店が開かれました。島には、そんなお店がなかったのでとても楽しみにしていました。
 女の子は釘で運動場にお店を書いて、お店屋さんごっこをし、お姉さんは、お手玉や竹割りをやって遊んでいました。男の子は、けんけんをしながら突っつき合って場所を取り合う陣取り遊び、メンコ遊び、あと、ビー玉で陣取り遊びをしていました。
 一番の思い出はお祭り。兄や姉が演芸に出て踊ったり歌ったり、根室からお店がたくさん来たり。今も歯舞でやっている獅子神楽、長い袂(たもと)の着物を着て、長い襷(たすき)で縛って、房のついた棒を回しながら、お獅子と一緒に踊るんです。

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「四島交流(ビザなし交流)」に参加して

 四島に行けば懐かしくて、父や母が自分たちで四島を拓き、国から払い下げをしてもらった土地なんです。自分達で小屋の様な家を建て、頑張って少しずつ大きな家にしたんです。 兄や姉が一生懸命に働いて、私と妹だけは学校にあげてやると言うことで、私は女学校にあげてもらいました。(ビザなし交流の船に乗って)四島が近づくと家族の苦労のことが思い出され、胸がいっぱいになって涙が出てきます。
 私も十何回かホームステイもさせていただいて、個人的にはロシアの人達はとっても優しくて良い人達ですし、子供たちもとっても可愛いですね。だけども一緒にこれから住むようになったらどうなるのかな。
 私達の土地だから、あなた方、行ってちょうだいと言うわけにはいかないと、これは、日本の国が四島が還って来たらどうするのかをロシアの人達と話し合っておいて欲しいと思っています。

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